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今宵もここでは、男と女のドラマが繰り広げられる……

 
 第1話 輪駆のBOX

 カランカランカラン
「マスター、ドライマティーニをちょうだい」
「失礼ですがレイディ、うちはポン酢専門店ですので……」
「あら、失礼。それじゃあ、ポン酢をちょうだい。大根はダブルで」
「かしこまりました」
 とくとくとく……シャリシャリシャリ……
 コトッ
「どうぞ」
「いただくわ……あら、この大根、甘いわ。マスター、皮を厚く切ったのね」
「お口に合いませんでしたか?」
「ううん、いいの。ちょうど甘えたい気分だったから」
「お気に召しましたら光栄です」
「フフッ……優しいのね。なんだか今夜はマスターの優しさに溺れちゃいそう」
「時には、そういう日も、あってもよろしいかと……私にも覚えのあることです」
「マスターにもそんなことが?」
「私も人間ですから。苦い過去の一つや二つはあるものです」
「聞きたいわ、その話」
「いえ、人に聞かせるようなお話ではありませんから……」
「つれないのね。やっぱり世の中ってそんなに甘くないのかしら」
「……仕方ありませんね、今日だけですよ」
 キュッキュッ……

 あれは、どれくらい昔の話になるのですかね。私がまだ本当に幼かったころの話ですよ。自分がどれくらいに幼いかもわからないくらいに幼かったころの、ね。
 きっかけは、友人とのくだらない言い争いでした。
 北の海の道の話、ご存知ですか?
 そう、凍てついた北の海には道がある、という、あのお話です。それが本当の話かただの噂か……私と友人がはじめた言い争いは、やがてどちらもひっこみがつかなくなってしまたって「それなら二人で確かめに行こう」という話になりまして……
 はは、馬鹿らしい話ですよね。あんな噂を信じるなんて。若かったんですよ、本当に……
 北の海にたどりつくまでには、さまざまな困難がありましたが、長い旅路の末、私たちはついに北の海にたどり着きました。そして……
 信じてくださらなくて結構ですが、見つけたんです。北の海の真ん中に、一つの道を。
 私はすっかり興奮してしまい、すぐに道を行こうとしましたが、友人は止めました。「どんな危険賀あるかもわからない」と云ってね。私は友人を臆病者と罵りましてね、一人で道へ飛び出しました。どうしても知りたかったのですよ。
 北の海の道の先になにがあるのか……その先にある土地を調査したい……そう思ってしまったのですよ。
 私が進みだすと、友人もついてきました。いつもそうでしたよ。私と友人は、いつでも一緒で、べつべつになることなんて、考えたこともなかった。
 どれくらいの間でしたでしょう……ずいぶんと進みました。二人とも疲れ果てていました。どちらともなくやがて道に座り込んでしまっていました。
 そんな時です。顔をあげた友人が云いました「あれはなんだ」
 私はそちらの方向を見ました。それがなにかはすぐにわかりました。
ハムだ」
 道のはるか先にハムが、日本のハムが落ちていたのです。

 興奮した私はハムに向かって走り出しました。あの時の私にはハムしか目に入っていなかったんですよ。昔から、そういう思慮の足りないでしてね……目先の欲望にすぐに飛びついてしまい、本当に大切なものを見失ってしまう……
 ボカン……って音がしましてね……
 最初はなにがおこったのかわかりませんでした。それからしばらくして、自分の近くで爆発が起こったのと、自分が突き飛ばされたのだということがわかりました。
 ええ、吹き飛ばされたのではなく、突き飛ばされたのですよ。
 友人が、罠にかかった私を突き飛ばして助けてくれたのです。
 私は助かりましたが、身代わりになった友人はぼろぼろでした。すぐに駆け寄りましたが、もう助からないことは明白でした。なのにね、友人は「はは」って笑ったんですよ。
 笑ってこう云ったんです「お気に入りのCOSTUMEがズタボロだ」って。
 それが最後でしたね。あいつの言葉を聞いたのは――

「大切なものを失うまで気づけなかった……馬鹿な話ですよ」
 トントントン――コトッ
「よろしければどうぞ」
「これ……ハムじゃない。もしかして……」
「なにも云わずに召し上がってください」
「……おいしい」
「それが、あいつにとってもなによりの言葉ですよ」
「ねえマスター、その人って、男の人?」
「さあ、それはどうでしょうね」
「もしかして、まだその人のこと、忘れられないんだ?」
「はは、勘弁してくださいよ」
「マスター、ポン酢をもう一杯。ストレートでね。ふふ……今夜は泣けそう」

 BARうなぎのねどこの夜は、今夜もまた更けていくのであった。

 第二話のりのり小屋

「まったく、いやになっちゃうわね」
「どうなされましたレイディ」
「またくだらない男にひっかかっちゃってね。これも女の業ってやつかしら……マスター、ポン酢のストレート、ロックでお願い」
「いえ、レイディ。今日はシングルをおすすめいたします。水道にいいカルキが入ったんですよ」
「カルマを洗い落とすにはカルキを……ってこと? ふふ、いいわ、シングルでお願い」
「かしこまりました」
 シャカシャカシャカ……コトッ
「どうぞ」
「ふふ……鉄くさいわ……都会の味ね」
「それでも我々は都会にしか生きられない……ちがいますかレイディ」
「そうね。その通りだわ。隠したりごまかしたりしても、しょうがないものね」
「レイディ、私は素敵だと思いますよ、あなたのそういうところが」
「ありがとうマスター。いつも優しいのね。その優しさに甘えて、ひとつ聞いていいかしら」
「私にできることでしたら」
「マスターにしか出来ないことよ。あの壁……あそこにかかっているアレ……あの黒い紙、なんなのかしら? いつも気になってたんだけど。ただの黒じゃないわね。すこしだけ、緑がかっていて……」
「ああ、あれですか――そうですね、そうですね、若さの形見……とでも云いましょうか」
「またそうやってごまかすのね。マスターって、いつもそう。つれないわ」
「隠しているわけではありませんよ。ただ――情けない話ですからね。いいでしょう。お話しますよ。私の若さ、その最期をね」

ディープ・クライシス、という言葉をご存知ですか?
知らないのも無理はありません。一昔前、冒険家の間でのみ、有名だった話ですから。 ディープ・クライシス――頭文字をとって巷ではDCと呼ばれていました――それは、幻の海溝の名前です。
世界一深い海溝はご存知ですね? そう、マリアナ海溝です。その最深部は10911mにもなると云われていますが……
もし、もしですよ……そのマリアナ海溝よりもはるかに深い海溝が存在するとしたら――どう思われます? しかもそれが、数年に数日しか姿をあらわさない幻の海溝だとしたら? そんな噂を聞いたら、あなたはどうされますか?
バカらしい、そう一笑に付すことは誰にでも出来ますし、ほとんどの人間がそうしました。ですが、信じる人間もいました。私もその一人でした。
私を含めた愚か者たちは、噂の真相を求めるため、幻の海溝を探しました。そして――信じられないかもしれませんが、見つけたのです。幻の海溝DCを。
DCは、私たちの見守るまえで、ゆっくりと海底に地割れをつくり、ひろがって行きました。私たちはすぐに深度の調査をはじめました。
深度の調査というのは、簡単に説明すると、錘をつけたケーブルを海溝に沈めていくという方法で行います。我々はケーブルを三万m用意しました。そう、マリアナ海溝の三倍です。
調査は数日にわたりました。何日も何日もかけて、ゆっくりと下ろしていくのです。
ケーブルが一万mに達したとき、我々は自分たちの発見に狂喜しました。
ケーフルが二万mに達したとき、我々はその深さに疑問を感じました。
そして、ケーブルが三万mに達したとき、我々は恐怖していました。そして、DCに関する、もう一つの噂を思い出しはじめました。
その海溝は、異世界につながっているのだという噂を……
出来の悪いホラー映画のようだと気にもかけなかった噂が、急に我々に真実味をもってせまってきました。なぜこの海溝がディープ・クライシス――《深淵から来る危機》と呼ばれてているのか……
我々はケーブルをまきあげることにしました。異変に気がついたのはその時です。
ケーブルが巻き上がらないのです。水圧のため? いいえ、水圧に関してはあらかじめ計算されています。海底に引っかかった? いいえ、錘は底にたどりついてはいません。 では、なにが、巻き上げを邪魔しているのか?
恐慌状態におちいった我々はケーブルを切断することにしました。しかし、もう手遅れだったのです。
探索船が揺れました。気がつくと、海面が激しく波打っていたのです。空は晴れているというのに、波はどんどん高くなっていきました。
まるで、海底から、なにかとてつもなく巨大なものが、すさまじい勢いであがってきているかのように――
混乱して甲板に出た私が、次の高波にさらわれて海に落ちたのは、むしろ幸いだったのかもしれません。船の最期を見ずに済んだのですから……
次に気がついたとき、私は見知らぬ船の客室にいました。洋上をさまよう私を、とおりがかった船が発見し、助けてくれたのでした。そのため、私は無事に帰ってこれたのです。 私の乗っていた船は、その後、発見されていません。仲間もみな、行方不明……おそらく、船が沈んだときに亡くなってしまったのでしょう。
その後、DCの調査を考えたことはありません。おそらく、もう見つけることもできないでしょう。それに――見つからない方がいいのです。
ええ。私は見てしまったのです。
高波にさらわれ、海に放り投げられたのち、朦朧とする意識のなかで、たしかにみたのです。
海底よりあらわれたなにかが――なにかとしか表現できぬほど異形の姿をした巨大な《深淵よる来る危機》が、私の仲間をその無限の腕に捕え、海底へと連れ去っていく姿を……
そのとき、私は知ったのです――あの無限の海溝こそが、かの者の棲み家、かの者のマイルームであったのだと……

「こうして、私は未知なるものを探索することの恐怖を知り、尻尾を巻いて逃げ帰って、ここでこうしているわけです。若さを……失ったのですよ……」
シャカシャカシャカ……キュッキュッ
「怖いわね……なんだったのかしらね、それ」
「さて、なんだったのでしょうね。きっとねわからない方がいいのですよ。そういうことは、世の中には存外に多いものです」
「都会には闇があるから魅力もある……世の中って、そういうものなのかもしれないわね」
「至言ですね、レイディ」
「それで、あの黒い紙は結局なんなのかしら」
「ああ、その説明を忘れていましたね。――海上をただよっていた私が発見されたとき、どこをどう流されたのか、私の全身は夥しい量の海藻に包まれていたそうです。その海藻をはがして集め、板状にして天日で干したものが、あの黒い紙です」
「それじゃ、あの紙って」
「ええ、ご覧のとおり海苔です」
「ふふ、このお店、磯のいい香りがすると思ったら、そんな秘密があったのね」
「恐縮です。話を聞いてくれたお礼に、レイディ、どうです。なにか食べませんか? よければおごりますよ」
「あら、嬉しいわ。それじゃお願いマスター」
「それでは早速――ところで、さっきの話にはもう一つ後日談がありましてね」
「なにかしら」
「あれ以来、朝目覚めると、私の身体はいつも海藻に包まれているのですよ。不思議な話です」
「あら、マスターって、冗談も云うのね」
「おや、冗談だとわかってしまいましたか。つまらなかったですかね。――どうぞ」 コトッ
「あら、おにぎり。あたし、このお店のおにぎりって大好きよ。海苔がすごくおいしいのよね」
「ありがとうございます。なにせ、うちのは《特別》な海苔ですから」

かくしてBARうなぎのねどこには戦慄の夜が訪れた……


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